鳥栖空襲
今日、久しぶりに藤木町老人クラブ「藤寿会」の誕生会に参加。
私が到着したころ、ちょうど「鳥栖空襲」についてのお話があっていました。
昭和20年8月11日午前11時頃、米軍のB-25が飛んできて、たくさんの爆弾を落としていき、藤木町にも爆弾が落とされ、民間人40名や軍人・鉄道職員が犠牲になられました。
時間にして15分ほどだっただろうとのこと。その時の様子を克明にお話いただきました。
今日の日本経済新聞の「春秋」の欄には
「八月や六日九日十五日」
という句が紹介されていました。
なるほど、日本人にとって8月と言えばこの3つの日に想いをはせるのでしょう。
だけども藤木町など「鳥栖空襲」に遭われた方にしてみれば、8月といえば先程の3つの日に11日も加えられるのでしょう。
明日がその8月11日。終戦まであと4日だから、犠牲になった方々がそのことを知れば残念無念に思うはずです。中には2歳の子ども等も含まれているのですからなおさらです。
毎年8月に入ると終戦記念日の頃まで
「私たちが生きている現在は、犠牲になられた方々が生きたかった明日なのだ」
との想いを強くするのですが、今日の「鳥栖空襲」のお話を聞いてその想いが一層強く感じる時間でした。
明日はあらためてじっと手を合わせ、そして平和を祈ろうと思います。
私が到着したころ、ちょうど「鳥栖空襲」についてのお話があっていました。
昭和20年8月11日午前11時頃、米軍のB-25が飛んできて、たくさんの爆弾を落としていき、藤木町にも爆弾が落とされ、民間人40名や軍人・鉄道職員が犠牲になられました。
時間にして15分ほどだっただろうとのこと。その時の様子を克明にお話いただきました。
今日の日本経済新聞の「春秋」の欄には
「八月や六日九日十五日」
という句が紹介されていました。
なるほど、日本人にとって8月と言えばこの3つの日に想いをはせるのでしょう。
だけども藤木町など「鳥栖空襲」に遭われた方にしてみれば、8月といえば先程の3つの日に11日も加えられるのでしょう。
明日がその8月11日。終戦まであと4日だから、犠牲になった方々がそのことを知れば残念無念に思うはずです。中には2歳の子ども等も含まれているのですからなおさらです。
毎年8月に入ると終戦記念日の頃まで
「私たちが生きている現在は、犠牲になられた方々が生きたかった明日なのだ」
との想いを強くするのですが、今日の「鳥栖空襲」のお話を聞いてその想いが一層強く感じる時間でした。
明日はあらためてじっと手を合わせ、そして平和を祈ろうと思います。
by k-sashi
| 2011-08-10 23:49
| 今日の出来事